アメリカの攻撃でイランの最高指導者が死亡したらしい。どんな独裁者が相手であろうと、主権国家を勝手に爆撃して指導者を抹殺するなどという暴挙は許されるものではない。
溜め込んだ紙パックを解体してリサイクルに回し、洗濯槽を洗い、目覚まし時計を追加で買いに行く。午後2時。
その後特段何もせず。大木『独ソ戦』を読む。
ついついコンパイラかインタプリタを作りたくなってしまい、どうにか労力を考えて鉾を納めるようにしている。作るにしても技術的な見通しが立たなくてはすぐに手が止まってしまう。
Rustで書くのが馴染み深くていいと思いきや、Rustエコシステムのパーサジェネレータにあまり良いものがなく、LR構文解析器生成系を自作したくなってしまう。これ自体が重い作業だ。Bisonなら実績があるが、言語はC/C++に絞られてしまう。ocamlyacc/Menhirが使えてWebAssembly生成用ライブラリもあるOCamlに魅力を感じるが、OCaml自体は未経験だし、どうも歴史的経緯でエラー処理がADT一辺倒でなく、オブジェクトシステムも持ってしまっているようなのが頂けない。
結局のところでは私の技術的な潔癖のために何も進まない。そう思ってOCamlをまたインストールして手を動かしてみたが、Rustの開発体験にはどうも及ばないと感じてしまいすぐに消した。潔癖というより面倒臭がりであるようだ。
その後以前作っていたインタプリタに手を入れていたのだが、飽きが来た。そもそも言語処理系など作っても何にもならない──いや何かにはなるが、それ以前の問題として、何かにするのが大変な手間だ。このインタプリタは四則演算と関数呼び出しができるが制御構造がない。追加するのが面倒だ。追加して使いやすくするのが尚のこと面倒だ。そうやって面倒なことをやって何を得られるでもなし──。こう言い訳を並べたくなるのは単に疲れたからだろうか。
起きてから鯖缶ご飯を食べて«Блокада»の続きを観る。いい天気だからどこかに行こうと思っていたのだがもう15時半になろうとしている。調べながら上の段落を書き足したりしていたら16時を過ぎたので諦めた。上述の通り手を動かしていたら20時になった。
今日こそ実に特筆すべきことのない日だった。つまらぬ。
つまらぬ、などと言っていたらアメリカがイランを攻撃し始めたというニュースが飛び込んできた。この頃のアメリカにはうんざりする。
デプレッシングリィに雨だ。
ハローワークに行ってくたびれたので(これだけでくたびれていてはしょうもないのだが)映画を観て寝てしまおうと思う。«Блокада»(1973年、邦題「レニングラード攻防戦」、なんとも間抜けな邦題だ)を引っ張り出してきて第二部まで観た。«Освобождение»に次ぐくらいの大作なのだが、後者にはどうしても劣る。屋内セットの質で見劣りがするし、将兵たちの戦術劇はともかく、政治ドラマは明らかに手抜きである。弁当屋の唐揚げとポテトチップスを肴にまずい日本酒をちびちびやりながら観るには不釣り合いな映画だが、まあよしとしよう。何しろ今日は疲れているのだ。
スパゲッティ・ミートソースを作った。作りすぎた。満腹で苦しんでいる。
兎角何をするでもない。何をする気が起きるでもない。困っている。昔買った官能小説を一章読んだ。こんなん俺でも書けるわい、という気がしてきた。この際こういう感覚も悪くなかろう。何しろ一本書いてやろうという構想がないでもないのだからね。
相変わらず『イマジネール』をやっつけようと頑張っている。現実に根を持たない夢想の可能性について考えている。
就職・転職活動というのは兎角時間ばかり掛かる。体調を崩して退職して、やれ三箇月くらいは休んだっていいだろうと思ったら大間違いで、三箇月経って動き出してから更にもう三箇月は職なし状態のままが続くわけである。とはいえ此度の退職直後は転職活動もままならぬという状態であったし、文句を垂れたところでどうなるでもない。
先週までに応募した求人の選考結果がおよそ出揃った。一社一次選考通過、残りはお祈りを賜るかゴースティングを頂戴している。案外心理的ダメージも少ないので、来週あたり追加で応募するのも悪くないだろう。
今日この頃の暮らしはといえば、まったく朝起きられない。夜は22時に寝ようが起きられないものは起きられない。起きたところで何を生産するでもない。プログラミングからようやく手を引けそうな感じになってきたが(なぜ止めたいのかは追々書こう)、それでは文章を書きましょうとはならないし、書くものがせいぜい日記しかない。ならば取り入れる文章を増やしたいところだが、はてさて読書熱が帰ってくるわけでもない。読書熱に罹っていた時期というのがもう中学生の頃とかになってしまうのではないか。大学時代ですら、能力と熱意の意味で本が読めないと嘆いていた覚えがある。
とはいえ本は読もうとしている。新書ではあるが(人間どこかから始めねばならぬ)昨日か一昨日か、澤野『ドゥルーズ入門』を読みきった。内在的・非集権的システムで世界を見るということらしい。面白い。知人の研究テーマを思い出す。なぜこいつを読み始めたのかは忘れた。今日はヴュナンビュルジェ『イマジネール』に再挑戦しようと開いてみた。クセジュの和訳によくある、なかなか難渋な文章で、非常に飲み込み辛い。外で読んだのだが寒くてすぐに中断して家に戻った。
薬のせいもあろうか、この一週間はどうも活気がない。いわゆるお祈りメールを受け取って消沈してはならぬとラーメンを食べに行ったが、どうにも美味しく感じない。20時になった。今日は一段と早く寝てみよう。明日は実家を訪問する予定だ。
本来日記とは世界に向けてあけっぴろげにするものではないと思う。しかしながら、いくら読者がつかないということがわかっていたとしても、こうしてブログという形態を取らないことには、日記を書き文章を書き思考するという習慣が実践できないのが私という人間であるらしいのだ。そういうわけで、なるべくプライバシー上の安全に配慮しつつ、具体的対象を欠いた随筆として、この日記帳を始めてみようと思う。