Redditで「第二次世界大戦において日本は加害者だったと答えた日本人は回答者のうちたったの35%」というNHKの記事が話題になっていた(記事)。この手の記事が話題になるのはいつものことで、だいたいのコメントの論調もいつも通り、日本の歴史教育は杜撰で、それは先の大戦について反省していないからだ、というものである。この批判は大筋として正しいと私も思うのだが、こう単純化された議論ばかりでは違和感がある。もっと構造的な問題が潜んでいるというのが私の見立てである。毎度もやもやした気分を抱えては、気晴らしの末に何もかも忘れてしまうのでは勿体ないので、ここにメモ書きとして残しておく。私は歴史学者でも社会学者でもないので、この文章もまた所感の域を超えるものではない。
日本は第二次世界大戦においてaggressorであったということについて争う気はない。この点は予め断っておきたい。東南アジア進出は植民地解放戦争などでは決してなかった。南京大虐殺は起こった。満州事変は日本が起こした陰謀だ。日本は中国を侵さずに英米との協調路線を進むこともできた。朝鮮の植民地化は、他のあらゆる植民地化と同様の理由により、道義に反する行動だったと言わねばならない。
そして私はこれらの事実を、学校で受けた教育と、日本国内の一般の出版物を通じて知っている。なるほど、日本の文教界の一部に歴史修正主義が浸透を仕掛けているのはひとつの事実であるし、明確に極右的な言説が存在することも確かだが、主流に近いレベルで横行しているとは言えない。他方で、私のような、過去の日本の罪状を明確に認める日本人が少数派であることや、修正主義的歴史観をもつ日本人が無視できない程度に多いこともまた事実である。例のアンケートの数字は、私から見て特段驚くべきようなものではない。
私の見立てでは、歴史認識をめぐる現代のこうした状況は、戦後もなお続く国民の主権者意識の欠如、歴史を貫く民族意識の欠如に根差している。
大日本帝国は天皇主権の専制国家だった。軍部が政治に介入するようになり軍国主義化していった。いずれにせよ臣民にはどうすることもできなかった。でも大丈夫、戦争の惨禍はもう起こらない。何しろ今や日本は国民主権の民主主義国家になったのだから──戦後の日本人の歴史観の一番コアな部分を抜き出すとこうなるだろう。問題なのは、戦前戦後を貫く日本という主語を、戦前まで含めて主権者として引き受ける態度が欠如していることだ。ひいては、日本人としての民族意識の連続性が、したがって責任の連続性が、すっかり切断されてしまっているのである。
国民教育としての歴史の意義は、この連続性を内面に根付かせ、国民国家の主権者として育て上げることにあるはずである。ところが、これは高校・大学受験という制度の悪しき副作用だと私は思うのだが、学校における歴史教育は暗記とテストにすっかり還元されてしまい、暗黙の諒解として、試験が終わったら忘れてしまってよいことにされている。卒業後彼らを受け入れる社会の側も、歴史教育の結果として、卒業生たちが何かしらの立場を持っていることを期待していない──なぜなら歴史を知っていることは労働者として付加価値をもたらすことはないし、為政者としては、被治者が主権者意識を持っていることは、統治の上でこの上なく邪魔なことだからだ。
ついでに主権者教育という点で公民教育に目を向けてみれば、これは散々批判されていることであるが、日本の学校は政治に関与することを恐れる余り、制度の教育を行うのみで、実践の訓練を行うことは一切ない。
要するに、資本主義と衆愚政治は、主権者としての国民を必要としていない、これが問題なのである。なるほど日本国は先の大戦を十分に反省していない、これは事実だ──その内実は、産業界と政界が、第二次世界大戦における日本人の意識を継承した日本国民というものを必要としておらず、国民の側もそれに甘んじている、ということなのだ。